むしろ日本人でこの小説を知らないひとはいないのではないかと思われるほど、日本文学の代表作品ともいえる夏目漱石の小説『こころ』
たしか中学生の頃に読書感想文として書いた記憶がある。
きっと多くの皆様も同様に書いてきたのではないだろうか。
その当時からわたしは『こころ』が苦手だった。
登場人物の心理描写がわかりにくいにも関わらず、あまりにも名著であることが顕示されているからなによりも否定がしにくい。肯定的に読むことが押し付けられているような圧迫感があるし、かつ読んで感動、感心ができなかったらセンスがないと思われそうだし、中学生のころ憂鬱になりながら読んだ記憶が懐かしい。
だからいまだに苦手意識はある。
小説家の世界でも「すでにそれは漱石が書いている」という戒めがあるほど、夏目漱石が描いたテーマやメッセージは普遍性と不変性をもっているため、今回の書評にもあえて書く意味があるものにしなければと姿勢が正される。
いまさらながらかもしれないが構成は3部構成となっている。
・先生と私
・両親と私
・先生と遺書
この物語の主人公は私ではなく、先生である。
その先生の変容を描いているわけだが分けて考えると「お金」、「恋愛」、「死」が彼を変えている。
そしてその葛藤の変遷が遺書での告白で描かれている。
上記のそれぞれがそもそもビッグテーマなので、ひとつを題材として挙げ、深く検証していくこともできるが、まず背景として明治天皇の崩御と乃木希典の殉死が大切なテーマとなっている。
西南戦争を経て、死に場所を探していた乃木希典に自身を投影させた先生。
明治から大正への移り変わり、封建的道徳(家族主義)から西洋的個人主義になっていった背景が前提としてある。
その生きにくさを読み取ることができる。
エーリッヒフロムが『自由からの逃走』において
「近代人は自由を得る代わりに孤独になった」と考えを述べているが、まさしく『こころ』はその小説版として描かれているともいえる。
共同体から脱却し、役割・機能の制限もなく、自由への萌芽が生まれてきた中で「個」としてどうあるか、自分らしさ、自己としての選択をしていったなかで、皮肉にも小説の中でその選択をした人物はみな自死していることも一考すべきであろう。
今回は近代化にむけて生まれた自由と孤独の側面から訴求してみたが、こころとはそのものが常でなく、変化し続けるものである。だからこそ、様々な角度から読み解くことができ、読む人に合わせて伝わるメッセージもまた変わる。
名著が名著たるゆえんかもしれない。
いまあなたにはどう映るのか。
また手に取ってみてほしい。
知人が前に言っていたが、
「こころの最も面白いところは現代人が理解できないことだ」と。金言である。
まさしく時が流れたことを強烈に示している。
その移り変わりもまた「こころ」ゆえで面白い。
蒼山継人